5月3日高砂市高砂町清水町生まれ
(父)赤井惣太郎(母)赤井嗣子、妹2人の3人兄弟です。
遠浅の海岸で父に抱かれている昔の白黒写真を見つけましたが、白砂清松の海岸線を知らない世代です。
高砂小学校卒業
小学校4年生までは高砂町清水町で生活し、小学校5年生で荒井町小松原に引越しをするが、5・6年と高砂小学校に通いました。
小学校のマラソン大会で2位に入賞したのをきっかけに、陸上競技を開始。
高砂中学校卒業
中学校の3年間は陸上競技部に所属し羽田教諭の指導の下、3年生の時800mで全国ランキング10位にランクインし、全国大会、ジュニアオリンピックに出場。
ジュニアオリンピック出場の際には、父と初めて東京の国立競技場へ行きました。
中学2年生の網井先生の担任の時に席が隣同士になったことがきっかけで、妻千賀子と結婚しました。
加古川西高校卒業
加古川西高校に入学し、八木利正教諭と出会い、高2、高3と全国インターハイに出場しました。
特に高3時は、800mで兵庫県大会2位、近畿大会2位、全国大会13位と活躍。
中央大学卒業
中央大学に進学後、800mで関東インカレ6位、全日本インカレ7位という成績を残して、自己ベスト記録1分52秒60で10年間の競技生活を引退しました。
当時は競技中に水は飲むとお腹が痛くなるのでダメと言われ、下半身強化はうさぎ跳びでと教えられた時代でした。今は5km毎に給水して、下半身強化は色々な器具で行います。スポーツ医学の進歩には驚きです。
兵庫相互銀行(現みなと銀行)に入行
Uターン就職で当時の兵庫相互銀行(現みなと銀行)に入行し、厳しいノルマ達成を目標に営業畑一本で活動し、かん野支店、梅田支店、加古川支店、神戸駅前支店に配属され約13年間お世話になりました。
その間社長表彰、貸付営業優秀者賞等を受賞し、充実した銀行員生活を送りました。当時の金融機関は12月31日までの営業であり、昼休み閉店もない時代でした。
高砂市議会議員当選
前年11月に銀行を退職し、1994年8月に35歳で地元小松原からの推薦で高砂市議会議員に立候補し初当選しました。
高砂市議会議員の活動として、地元の小松原地区では区画整理事業の礎をつくりました。また、高砂市陸上競技場の全天候化を推進しました。
地元では、子供会の役員としてお祭りのお世話をするなど地域の活性化に取り組みました。
高砂市議会議員としてスポーツによる街づくりを推進する中で、高砂市ソフトボール協会会長を拝命し、市内でのソフトボール普及に努めました。
高砂市長選挙落選
高砂市議会議員を1期を勤めるなかで、高砂市のためには「しがらみのない民間の感覚と柔軟な発想での行政運営」が必要であると痛感していきました。
そこで、平成10年の高砂市長選挙に39歳で立候補。しかし、4人が立候補する乱立線の中で落選しました。
株式会社アカイ工務店
その後、父の経営する赤井工務店へ入社して、建築の資格も取得し、株式会社アカイ工務店に改組して25年間勤務してきました。昨年8月19日に父惣太郎が他界し令和4年12月に代表取締役社長に就任し現在に至っております。
1982年から42年間の結婚生活で妻と二人で3人の息子を育て上げられました。
家庭よりも仕事優先の日々であったなあと反省しています。選挙などで迷惑をかけた中、家庭を守ってくれた妻には「感謝」の言葉しかありません。
私にとって、特技の陸上生活のなかでの大きな思い出は、2つあります。
1つは、私自身がインカレで入賞できたこと。
2つめは、その経験を活かして約20年間地元小中高の陸上部のアドバイザーとして活動し、2005年4月23日には当時の荒井小学校の指導者と連携しながらいまだ18年間破られていない小学校女子の4×100mRの兵庫県小学校記録(52分72秒)を大成・駒井・小山・永安のメンバーで出せたことです。
また、陸上競技部OBとして中央大学の同窓会である白門会でも活動しています。兵庫白門会では資料を作成して箱根駅伝詳細分析を披露するのが恒例となっており、中央大学同窓と幅広く交流しています。
日本維新の会に参画
兵庫県議会議員選挙の高砂市選挙区では、過去5回の選挙で3回が無投票でした。しかも、現職の県議会議員は当選7回の多選議員です。
選挙による有権者の審判を経ることなく長期にわたって同じ議員が居座ることが良いのかと疑問を持ち、兵庫県政を考えるために日本維新の会に参画しました。